森の入り口
森へ向かう途中、
段々と家が減り車とほとんどすれ違わなくなり
人工物はどんどん減って行きます。
看板は情報として頭の中に入って来ますが
道、川、緑、空、
単純な景色になっていくからか
考え事が減って行きます。
森に近づいた頃には
見えている風景を楽しむだけです。
いくつか森への道があるのですが、
いつもの森へ入るには軽い登山遊歩道の
階段を上っていきます。
自然の中に作られているので自然の中ですが
人の作ったモノがあるうちは日常のテリトリー内で
まだ完全に森の中に放り込まれていないような
日常のような安心感があります。
やがて登山道も舗装が無くなり
人が付けた獣道ならぬ人道を頼りに登ります。
樹の根っこの階段、
人の踏み固めで作られた階段のようなものや、
徐々に自然の中に
入らせて貰っている事が強く感じられて来ます。
やがて尾根以外には人道も道標も無くなり、
知らず知らずの内に
誰かの通った跡だと思っていたら
鹿の足跡であったりします。
鹿は食料となるものを探してたり
水飲み場への道だったりするのですが、
(鹿もぼんやり散歩を楽しむかもしれません)
山の斜面を進むと人間も鹿も
通りやすいと感じる場所は一緒のようで
自然と同じ道を使うことになります。
そんな風になると既に、
日常の入り込む余地の無い森になっていて
「森へ来た」感じが無くなって
ずっと「森に居る」ような気持ちになってくるので不思議です。
ひとしきり堪能した後は
毎回帰るのが惜しい気持ちになりますが
暮れる前には森を出ます。
その後の時間を森を動物たちに返します。
森の入り口はどこか。
それは日常を忘れて景色の中に自分が融けた地点かもしれません。
行く度毎に心の中で森の入り口は変わります。
私にとって森は形の定まっていない、
形を変える生き物みたいなモノのようです。
そう考えると色んな人たちそれぞれに色んな森が存在するのだ、
と不思議な気持ちになって来ます。
0コメント