帰り道



樹々にはそれぞれ土を掴む層があります。 


ある樹々や草木は表面近くに根を伸ばし

ある樹々は少し深く根を伸ばし 

ある樹々は深くまで根を伸ばします。  


それらの多種多様な樹々がある場所は 

根がしっかりと土を掴むので崩れにくくなります。 


根が土を掴んでいない場所は 

地盤が弱くなることが多いようです。 





私の通う森はここ最近の雨と 

数回の台風による大雨で地盤が緩み 

激しい風によって 

いくつかの樹が倒れました。 


地面が大きく崩れた箇所もあります。 





しばしば自然災害と呼ばれるものは 

既に機能していない箇所

バランスの取れていない箇所を取り去っていきます。 



それは地球が自分のもろい箇所を洗い流し 

また命を育てていけるように 

自らを最適化しているようなものだろうと思います。 



そこには雨に洗われ地が固まって来ると 

新たな芽が出て 

新しい生命が息づき始めます。 



それらの場所で「死と再生」が起こります。 





私たち人間にも 

地球と同じような「死と再生」が起こります。 




私が森を撮り始める前の事です。 


私は写真家になるのだ、 

そう決め込んでいました。 


ある時期から 

休むと努力が足りないように思えて 

睡眠時間もそこそこに毎日撮影に出かけました。 


やらない事が怖くて 

朝暗い内から起きて

来る日も来る日も

日が暮れるまで撮影してたと思います。 


大好きな人たちが泊まりに来てくれた時にも 

写真を優先しました。 


その日早朝から雨の中撮影をしていた時に 

「私は何をしてるんだろう。」

ふっと考えが頭をよぎりました。


そしてやっと我に返り

痛む心が言いました。


「こんな事は私には無理だ。諦めよう。」 






その時、私の中で何かが死にました。 



その時私は写真を楽しむのではなく 

自分以上の者になろうとして 

焦りや執着や失敗への恐怖から 

やみくもに一生懸命になっていました。


それらは私の中で既に機能不全を起こして

何の役にも立たないものでした。


そしてこれらの執着や恐怖が

この時死んだものでした。 



わんわん泣きながら一人、 

車で家に帰って来ました。 


とても深く安堵して 

車から見る景色は曇り空だったのにもかかわらず

今までのどんな景色より美しいものでした。


戻ると空も青空になり

その人たちとお昼ご飯を食べて 

「あぁ幸せだな。」

しみじみ安らぎを感じました。 


その波は台風のようにやって来て 

私の既に機能してなかった部分を 

壊して去って行きました。 





「死と再生」を繰り返して 

本当の自分でないもの

求めていないものを捨てていく事、 

それは魂本来の唯一無二の自分へと 

戻っていく道筋となると思います。  



人生を味わいながら 

自分の要らないものを 

心に尋ねながら放念出来れば。 


そこに肩肘の張らない自分が 

笑って立っている気がします。 




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